安定の島(Island of stability)

読書の記録が主ですが、いろいろと。

誰が他人のブログを見るのか問題 その3(そして、終わり)

 結論を先に言ってしまうと、noteにアカウントを取った。しばらくこちらをメインとして運用し、はてなブログはとりあえずアカウントだけ残しておくつもりである。

note.mu

 

 理由を延々と書く。

 また、畏友(と、私が勝手に思っている)の安田鋲太郎さんのブログを引用しよう。といっても同じところだが。太線部分は私。

 

ブログについては、もっと敷居を下げて、気軽に更新してゆきたいなと思っています。論文じゃないですもんね。そんなわけで、こういう「他人から見たら読む価値があるかどうかちょっと微妙なテーマ」でも書いてしまいます。

 

visco110.hatenablog.com

 

 私の友人でブログを書いている人は多いけど、おおむね2つのパターンに分かれる。

 一つは、昨日食べたものから読書や映画の感想、はたまた小説、家庭の問題まで、もう何でも書いてしまうもの。もう1つは、テーマに沿って書くもの。前者はごちゃごちゃしているが、後者の場合、アフェリエイトだとか広告だとかが介入している関係もあると思うが、読みやすく整理されている印象が強い。

 

手持ちのカード

 ブログサービスが始まる前は、好きな作家の影響もありホームページに延々と日記を書いていた。大学の授業のこと、家族のこと、読んだ本、見た映画、ドラマ、アニメ、もうぐちゃぐちゃである。

 そのうち、分野別にまとめて書くようにした。それが、いつ頃だろうか、ホームページを閉鎖してブログに完全移行した(テキストがメインだったからブログで十分だった)。

 おそらく同時ぐらいにmixiをはじめたと思う。当時は招待されないと入れない形式で、そこでも日記を書いた。このあたりで、SNSとブログの使い分けという問題が起こる。mixiは日記を「友人までの公開」とし、本当に雑多なこと、プライベートに近いことを延々と書いた。その頃就職したこともあって、仕事の悩みや東京で友達と遊んだ話、旅行した話など。

 一方のブログは、というと、かなり更新頻度が低かった。たぶん一ヶ月に一度更新すればいいほうだろう。内容は読んだ本や映画の感想だったが、かなり無理くりな文章だったと思う(現物は残ってないけど)。

 それで、たぶんその問題は10年以上続いていて、今に至るんである。嗚呼。

 

 つまり、仕事は守秘義務に関することだから載せない、プライベートは誰も興味ないだろうし、住んでいる場所が特定されると困るから載せない、などと、自分で気づかぬうちに手持ちのカードをどんどん捨てて、山札から交換もしなかったのである。これじゃブタどころか絶対負けるじゃないか。

 

一旦仕切り直し

 

 一度高くしたハードルはなかなか下げられないので、ちょっと上記の方法(note)で仕切り直してこようと思う。といっても、根本的解決にはなってないのかもしれないが。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)

 性懲りもなく村上春樹である。「性懲りもなく」と書いたのは、「騎士団長殺し」のレビューを参照のこと。

 

 休日、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を朝食後に読み始めたのだが、なんと1日であっという間に読んでしまった。村上春樹ではおそらく最短記録である。「1Q84」「騎士団長殺し」は少なくとも一月以上はかかっている。Twitterには、この小説について「もしかしたら一番好きかも」なんて書いてしまったが、よくよく考えると、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、もしかしたら村上春樹の作品の中で一番読みやすく、とっつきやすく、村上春樹初心者でもすぐに世界観に入っていける作品ではないかと思う。

 ネタバレ無しで語ってみよう。

 

 あらすじは以下。

 

多崎つくる(36)は鉄道会社に勤務、駅舎を設計監理している。彼は高校時代、4人の友人といつも行動を共にしていた。5人は名古屋市の郊外にある公立高校で、同じクラスだったが、しかし大学2年生のときに突如、その友人たちから絶交を言い渡され、自殺を考えるほど思い悩んだことがあった。

 その後、大手旅行代理店の木元沙羅(38)と交際関係になり、高校時代に仲の良かった4人の友人たちのことを包み隠さず話す。沙羅は、なぜ4人から絶交されたのか「そろそろ理由を聞いてもいいんじゃないか」と言う。4人の友人はそれぞれ色のついた苗字を持っていた。

アカ 赤松慶(あかまつ けい)
アオ 青海悦夫(おうみ よしお)
シロ 白根柚木(しらね ゆずき)
クロ 黒埜恵理(くろの えり)

 多崎つくるは沙羅の協力のもとに、なぜ4人から絶交されたのか、を探る旅に出るのだった。以上が、大まかなこの物語の流れである。

 

 

 さて、主人公の多崎つくるは、自炊をし、自分でワイシャツにアイロンをかけ、ジムへ行きプールで汗を流す、といういかにも村上春樹的な主人公である。珍しいといえば、酒に弱いというところか。ビールを延々と流し込んだり、ウィスキーをオンザロックで飲んだり、という乱暴なことはしない。

 また、大学生の頃、アルバイトをしていた事務所で事務の女性と懇ろな関係になるというのも、「いかにも」である。草食系のようだが手が早い。

 木下沙羅は年上の恋人で、つくるをはげましたり、ヒントを与えたりする。4人を調べるシーンで、GoogleFacebookという具体的な名前が出てきたときはびっくりしたが…。

 

 推理小説として読むと…

 

 この小説は村上春樹作品らしからぬ部分がある。それは、非現実的な描写がほとんど登場しないということだ。夢の描写が出てくるぐらい。しかしそれは「夢」であって現実ではない。

 村上春樹作品といえば、羊の格好をした羊男が登場したり(羊をめぐる冒険)、自分はイデアだと称する「騎士団長」が登場したり(騎士団長殺し)、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聞くと別世界に行ってしまったり(1Q84)、と、現実に突然非現実が入り込んでくる、という描写があったが、「色彩を持たない~」ではそういう描写はほとんどない。だから村上春樹を読んだことのない人でもすんなり読めるし、私みたいな幻想的な描写が苦手な人でも「ああ、またかよ」と思わず読めてしまうということなのだろう。

 

 そして、読んでいる途中で気づいた、というか、そういう読み方をしたほうが読みやすいな、と思ったのだが、この小説は「推理小説」と似たような構造を持っている。

 はじめに具体的な謎が提示され、それを主人公とその恋人が追っていく、という展開だ。そして中盤以降には、もっと具体的で魅力的な謎が2つも提示される(詳細はネタバレになるから省く)。まともな推理小説家であれば、これを短編小説にするだろう(具体的なオチまで提示して)。しかし、村上春樹はこれを短編とせず、多崎つくるの心身をかなり入念に記したり、灰田(また色のついた名字だ)という友人まで登場させたり、灰田の父親の不思議な経験を詳細に書いたりする。

 

 この辺の謎を突き詰めたブログがあった。ネタバレがあるので注意。

sonhakuhu23.hatenablog.com

 

 このブログでは「推理小説である」と断定し、また事件の真相と犯人を特定してまでいる。でもねえ、気持ちはわかりますが、私にしてみれば、行間を読む以外の何物でもない気がする。

 

心の開放 

 

 多崎つくるは、物語の後半で自身の過去と決着をつけるべく、4人の友人に会おうとする。結果、彼の心は開放され、救われたようにも見える。友人だったクロが最後に言う。

 

ねぇ、つくる、ひとつだけよく覚えておいて。君は色彩を欠いてなんかいない。そんなのはただの名前に過ぎないんだよ。私たちは確かにそのことでよく君をからかったけど、みんな意味のない冗談だよ。君はどこまでも立派な、カラフルな多崎つくる君だよ。

 

 でも、多崎つくるは、最後の最後まで、うじうじした優柔不断な人物なのだ。そんなに簡単に人間は変わることができないし、解決できることもできないことも人生にはある。村上春樹作品は、全体的に霧がかかった状態という印象なのだが、この作品に関しては、最後の最後で霧が晴れ始めた(完全ではなく)、という感じで、そのあたりが人の世の割り切れなさを感じてとてもよかった。

 

 

 

 

SNSの炎上と床屋政談

 このところ、思ったこと。

 

 twitterを細々とやっているが、ブログほど「こういうことを書こう」と思わずにアカウントをなんとなく作ってしまったため、ほとんど惰性で書き込むようになってしまった。

 

朱雀辰彦 (@sakashima2) | Twitter

 

 惰性で書き込むというのを言い換えれば、条件反射的で「なんとなく」な書き込み、ということになると思うが、例えば物事に対して「気に入らない」とか「マスコミはダメだ」とか「今の政治はけしからん」といった話になってしまう。もともと興味はないのに、そのようなつぶやきが多くなってきたら、あなたはただ「惰性」で「なんとなく」書いているということだ。

 これは、お昼のワイドショーを見て「これだから日本の首相はダメなんだよね」と煎餅をかじりながらぼやいてるのとおんなじである、と思う。

 

 いわゆる「炎上」も、この惰性で条件反射的な書き込みと、周囲の齟齬から起きるんではないか。言ってみれば、あなたが常連の床屋で髪を切ってもらいながら、「野党はいつも批判ばっかりだよなあ。代案を出せばいいのに」と言ったら、髪を切ってる親父さんは「そうですねえ…」と適当に相づちを打つだろう。こういうのを床屋政談という。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 「理論的裏づけのない、感情的で無責任な政治談議」だから、その場で消えてしまう話である。もし、これが床屋政談でなかったらどうなるか。あなたが政治のことをぼやいたとき、親父さんが「具体的な例を上げていただけませんか?野党はそんなに無責任な団体ではないと思いますが」と突っ込んできたら驚くに違いない。「別に政治に興味があるわけじゃないが、髪を切られている間の沈黙が嫌だから、何か共通する話題を話そうかな」ぐらいの気分で話したのに、相手が突然「客と店主という関係を忘れて」議論を仕掛けてきたら誰だって驚く。

 

 これが床屋と違ってSNSの場合、なんとなく書いてる人もいるし、本気で書いてる人もいる。それが見えないのが、炎上する原因なんじゃないかしら?と思う。

 私自身、何も考えずに書いたことが何回かRTされ、知らない人から「その認識はおかしい。昭和○○年にはこういう事例があった」等と指摘を受けることがあったが、私としては「え、なんとなく書いたのに何本気になってんの」という気分だった。

 しかし、それが相手にとってはすごく大事なことなのである。

 

 「なんとなく」買いた書き込みがバズって炎上しないためには、「なんとなく」書き込むのをやめることが一番だろう。なんとなく書き込まないためには、常にSNSを見るのをやめて距離をおく、「自分はこのテーマしかつぶやかないようにする」とテーマを決める、など、いろいろあると思う。極めて当たり前な回答になって恐縮だが、まあ、人生そんなもんである。

 

 

 

 

SNS炎上 (NHKオトナヘノベル)

SNS炎上 (NHKオトナヘノベル)

 

「八本足の蝶」(二階堂奥歯)、そして幻想的なるものへ

 「八本足の蝶」という、20代半ばでビルから飛び降りて自殺した女性編集者・二階堂奥歯の日記を、ここ最近ちまちまと読んでいる。書籍版もあるのだが、絶版らしく非常に値段が高いので、ウェブ版をである。

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

 

oquba.world.coocan.jp

 

blog.livedoor.jp

 

 まず「八本足の蝶」というタイトル、筆名の「二階堂奥歯」というのが私の琴線を鷲掴みしてる感じで、非常に良い。日記の内容は日常のこと、読んだ本のことなど多岐にわたる(日記だから当たり前か)が、時として詩というか小説のようなセンチメンタルな文章が出てくるのが不思議。しかし多くの本を読んだからなのだろうが、彼女の言語センスは凄まじくて、早熟の天才というのはこういうのを言うのだろう。本人を目の前にしたら、私なんかはおそらく、へへえ、とひれ伏してしまう。

 しかし最後につれ、文章がだんだんと悲しいというか切ないというか、彼女が死に向かっている姿がありありと目に浮かんでしまう。

 

世界がいかに精妙に美しく造り上げられているか、私は知っている。
そして、被造物である人間がどのような物語を織りなしてきたかをも。
ここは、多分ある意味ある角度から見れば、すでに楽園なのだ。

枝分かれし続ける物語で出会ったみなさん。あなたを、私は祝福します。
どうかしあわせに生きてください。
あなたを愛しています。

 

最後の魔法のおかげで世界はとても綺麗です。
私は生きている間。時々、一瞬だけとおくをかいま見ることができました。
結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。

明日がこないからです。
これが最後の夜だからです。

 

 上記は両方とも自殺した日付の日記であるが、なんとも美しく、そしてゾッとする文章だろうか…。

 

 さて自分に引き寄せて考えると、二階堂奥歯は「ゴシックハート」の持ち主であったのだろうかと思う。いわゆるゴシック趣味。

 

ゴシックハート (立東舎文庫)

ゴシックハート (立東舎文庫)

 

 

 この名著の中で高原英理氏はこう語っている。

 

 ゴシックな意識と言ってはみたが、これは最も「形」に依存して示される精神の一つだ。初めから抽象的に語ることはできない。具体的な様式の得意性が内実の得意性を決めている。

 色ならば黒。時間なら夜か夕暮れ。場所は文字通りゴシック建築の中か、それに準ずるような荒涼感と薄暗さを持つ廃墟や古い建築物のあるところ。現代より過去。ヨーロッパの中世。古めかしい装い。温かみより冷たさ。怪物・異形・異端・悪・苦痛・市の表現。損なわれたものや損なわれた身体。身体の改変・変容。物語として描かれる場合には暴力と惨劇。怪奇と恐怖。猟奇的なもの。退廃的なもの。あるいは一転して無垢なものへの憧憬。その表現としての人形。少女趣味、様式美の尊重。両性具有、天使、悪魔など、西洋由来の神秘的イメージ。驚異。崇高さへの系統。終末感。装飾的・儀式的・呪術的なしぐさや振る舞い。夢と幻想への耽溺。別世界の夢想。アンチ・キリスト。アンチ・ヒューマン。

 

「ゴシックハート」(高原英理・立東舎文庫)8・9Pより

 

  要素が多様すぎると思われるかもしれないが、これはゴシックを端的に語っている(本当に端的なんだよ)。

 

 まだ全部読めてはいないけど、自分の手の届く値段だったら書籍版を買いたいなあ…。

「或阿呆の一生」(芥川龍之介)

 芥川龍之介は、「蜘蛛の糸」「杜子春」などの初期の超名作は小中学生の頃に読んだし、「歯車」は大学生の頃に何度か読んだ。なかでも「煙草と悪魔」は不思議な読後感があって好きな短編のひとつではある。

 まあそれはともかく、晩年の頃の作品をいくつか読んでみよう、と思ったので、「河童・或阿呆の一生」(新潮文庫)を読んでみた。

 

 「或阿呆の一生」は、ちょっととっつきにくい。短い文章が51にもわたっているのだが、ただ予備知識もなく読んではなんのことか分からないだろうと思う。この短編は、芥川龍之介が死に臨んで自分の一生を顧みたときに、思い当たったことを51上げたものだ。といっても、自殺直前の彼はかなり厭世的なところにあったので、この51の話もかなり厭世的である。いくつかあげてみると、

 

二十四(出産)
 彼は襖側に佇んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤子を洗うのを見下ろしていた。 「何の為にこいつも生れて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。ー何の為に又こいつも己のようなものを父にする運命を荷ったのだろう?」

 

三十一(大地震
 彼は焼けあとを歩きながら、かすかにこの匂を感じ、炎天に腐った死骸の匂も存外悪くないと思ったりした。殊に彼を動かしたのは十二三歳の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。 「神々に愛せらるるものは夭折す」
「誰も彼も死んでしまえば善い」彼は焼け跡に佇んだまま、しみじみこう思わずにはいられなかった。

 

四十七(火あそび)
 彼女はかがやかしい顔をしていた。それは丁度朝日の光の薄氷にさしているようだった。彼は彼女に好意を持っていた。しかし恋愛は感じていなかった。
「死にたがっていらっしゃるのですね」
「ええ。ーいいえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」
彼等はこう云う問答から一しょに死ぬことを約束した。

 

 

 

五十(俘)

 彼はすっかり疲れ切った挙げ句、ふとラディゲの臨終の言葉を読み、もう一度神々の笑い声を感じた。それは「神の兵卒たちは己をつかまえに来る」という言葉だった。彼は彼の迷信や彼の感傷主義と闘おうとした。しかしどう云う闘いも肉体的に彼には不可能だった。

 

 読んでいる最中、私は「ああ、こういう感覚は自分だけじゃなかったのか」と気づいた。

 

 死にたくなるというと極端だし、そこまで自分のことについて突き詰めて考えたことはないが、日常の生活の中でふと、「こんな日々があと何年続くのか」とか、「すべてをかなぐり捨てて、どこかに行ってしまいたい」とか、「誰とも会いたくない」とか、そういう感覚に陥ってしまうことがあったのだ。仕事を始める前はこんな感覚はなかったような気がするが、私は日記を書いているわけではないので、「そんな気がする」だけだ。

 

 芥川龍之介の自殺は、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉が有名だが、実際では自身の病気と姉の夫が自殺したことによる借金苦、昔関係をもった女性の再訪、などなど、「ぼんやりとした」どころではない、具体的な悩みばかりであったといわれる。

 家族があり、文壇で地位を気づいていた芥川には、この世のすべての関係を絶って遁世する、などということは無理であった。結局、この世から遁世する=自殺するしかなかったのか、と思うと、「或阿呆の一生」というタイトルが私にはボディーブローのように効いてくるのであった。

 

彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった。(或阿呆の一生

 

 ところで、どうでもいいことだが、五十「俘」の前半に出てくる「発狂した友だち」とは宇野浩二のことだろうな~。

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

読みたいけど挫折しそうな本。でも読みたい。

昔、togetterにまとめた記事がまだ残っていた。

togetter.com

 

 一度は読んでみたいなあと思いつつも、挫折しちゃうのが怖くて読めてない本のリスト。あれからいくつか更新されたので、自分用メモとして記す。幻想文学が多いかもしれない。

 

 山尾悠子の一連の著作。

歪み真珠 (ちくま文庫)

歪み真珠 (ちくま文庫)

 

 

 他、いろいろ。

東方綺譚 (白水Uブックス (69))

東方綺譚 (白水Uブックス (69))

 

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

 

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

 

 

夢見る人の物語 (河出文庫)

夢見る人の物語 (河出文庫)

 

 

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 

 私はどうも、幻想絵画は好きなんだが幻想文学はダメらしい。子供の頃に推理小説ばかり読んだからかなあ。

「標的は11人」(ジョージ・ジョナス)

2017年の日記のサルベージその3。

 

 1972年に起きたミュンヘンオリンピック事件と、その事件を起こしたテロリスト「黒い9月」たちをモサドイスラエル諜報特務庁) が1人1人暗殺していく、という報復作戦の顛末を描く。

 

 2005年にスピルバーグ監督の「ミュンヘン」という映画が公開されたが、この本はこの映画の原作本。この映画によって事件を初めて知った人たちも多かったのではないか。

 1972年というと世界はまだまだ血なまぐさかった。ちなみにこの年の2月には「あさま山荘事件」が起き、5月にはテルアビブで日本赤軍による銃乱射事件…などなど、左翼革命を信じた人達による事件も多かった。当時、東欧には共産主義の国が多く、まだ「左翼革命」には現実味があったのだろう。

 

 余談はさておき、この「ミュンヘンオリンピック事件」についてだが、未だに根深いイスラエルパレスチナの対立による事件だ。ミュンヘンオリンピックの選手村に、パレスチナのテロリスト「黒い9月」が侵入、イスラエルの宿舎を襲撃し選手たちを人質に取った。最終的に警察の作戦が失敗、人質となった選手たちは全員死亡したという、悲惨な事件である。

 事件に対するイスラエルの動きは早かった。首相のゴルダ・メイアは、報復として空爆を行うとともに、モサドによる「黒い9月」のメンバーの暗殺を指示。イスラエルはこの目的を「次のテロを防ぐため」としており、「神の怒り作戦」とか、「バヨネット作戦」などと言われる。

 主人公は、この暗殺チームのリーダーに選ばれた男、アヴナー。彼のもとには様々なエキスパートが集い、次々に「黒い9月」のメンバーを暗殺していく。この作品は、アヴナーの証言に基づいて書かれているが、イスラエルはこの「アヴナー」の存在を否定しているという。理由は本作を最後まで読めば分かるだろう。

 暗殺の計画は銃殺に始まり、ベッドや車に爆弾を仕掛けるなど多種多彩だ。爆弾の設定にミスがあって思い通りにならない、というところも非常に真実味があって面白い。

 

 そう、全て思い通りにはいかない。任務を遂行していくうち、仲間も1人、また1人といなくなっていく。任務の通り人を殺していくことへの虚しさ、絶望感。主人公はこの絶望から逃れようとするが、モサドはそれを許そうとはしなかった。なんとも切ない読了感が、しびれる。

 

 

標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録 (新潮文庫)

標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録 (新潮文庫)